ドイツ急行旅客用蒸気機関車 4

BR05 003 (Keier Model)


ホワイトメタル製キット組立
オリジナルの動力装置は動輪駆動でしたが
先台車、従台車のフレームもホワイトメタルで強度に
不安があったのでパワートラック駆動にしました。

動力はパワートラックを先台車、従台車、テンダー台車
に組み込みました。

BR05 003について
1933年ハンブルグ−ベルリン間に高速ディーゼルカー「フリーゲンダー・ハンブルガー」が登場し最高時速160km/h,平均速度125km/hで運行を開始しドイツは世界一の高速鉄道国になりました。しかし当時、国を代表する特急列車は1等車と食堂車を連結した豪華列車であることが必須条件でした。この点「フリーゲンダー・ハンブルガー」は2両編成で座席も狭く豪華列車とは言い難かったいものでした。そのため、世界に冠たるドイツとしては是非ともイギリス、アメリカ、フランス等に負けない豪華列車を高速で走らせる必要があり高速機関車を開発する必要にせまられました。ちょうどドイツ鉄道百周年に当たるベルリンオリンピックの前年に05 001と05 002が完成しハンブルグ−ベルリン間を食堂車1両を含む5両編成の特急列車の牽引を開始しました。この時の平均速度は119.4km/hで、イギリスのキャッスルクラスが持っていた定期列車の世界記録平均速度114.9km/hを上回り豪華列車でも世界一の高速列車の名声をドイツにもたらしました。
05 022号機は1936年5月11日ハンブルグとベルリン間のノイシュタット付近の3/1000下り勾配で4両の客車(195t)を牽引して200.4km/hの速度記録を出したことで有名です。後にイギリスのマラード号が20kmにわたる5/1000の下り坂で202km/hの世界記録を出しましたが、中央クランクから煙を出しながらの文字通りの限界速度であり機関車の実力としては05形の方が上まっわていたとの説もある。05形の牽引列車の運転速度は150km/h、機関車自体の最高運転速度は175km/hであり、この速度では通常の機関車の方向では前方視界が不十分であることとなり、運転席を前に持ってきたのが05 003号機で1937年に登場しました。機関車の向きを変えたため石炭は粉炭を使用し自動給炭機によって前部の火室に送り込む構造になりました。なお05 001号機と05 002号機には自動給炭機は装備されておらず人力で投炭していました。なお05 003号機は戦争中の1944年に粉炭の供給が困難になり流線カバーと自動給炭機が外されて通常の向きの機関車に改造されました。

05形は軽量特急列車専用の特殊仕様のため、この3両で製造中止となり、より実用的な急行蒸気機関車として1939年に登場した01 10形に3気筒や流線型とともに主力機関車の座は引き継がれました。

BR10 001  (Rivarossi 1339-1)

リバロッシはテンダーを作り分けて10 001号機を1339-1、10 002号機を1339-2としています。モータはキャブにいれ第3動輪を駆動する同社の01形と同じ動力装置です。

10形はドイツ連邦鉄道(DB)が1950年代の後半、しだいに老朽化してきた01形や01 10形に代わる主要幹線用急行用機関車として計画されました。しかし1950年代の後半になっての急行用蒸気機関車の開発は遅きに失したため、10形は2両の試作に止まり、1968年に廃車されました。しかし、10形は蒸気機関車の発展の歴史のなかで集積された技術的の結晶とも言える構造を持っています。外観は部分流線形で、空気抵抗の低減と保守整備の両立を図っています。中央シリンダーの弁装置は第3動輪左側に作動クランクを取り付け保守を容易にしています。当初は10 001号機は石炭と重油の併燃方式、10 002号機は重油専燃方式でしたが後に10 001号機も重油専燃方式に改造されています。

実物データ

  シリンダー 動輪直径 軸重 缶圧力 火格子 出力 最大運転速度 製造初年
05 003 450mm3気筒  2300mm 19.4t 20kg/cm2 4.40m2 2400PS 175km/h 1937年
10形 480mm3気筒 2000mm 22.4t 18kg/cm2 重油専燃 2500PS 140km/h(160km/h) 1957年

更新 08/08/10


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